「係長、これお願いします」
柊太郎(ひいらぎ たろう)のデスクへ、彼の部下である若い男性社員が書類を置いて去っていく。
太郎はその書類をじっと見つめた後、更に手に取ってしげしげと眺める。ふんふんなるほどなるほどと訳知り顔で頷いたりしているが、何処か上っ面で真剣味の感じられない所作だ。
そうしていると、同じく彼の部下で隣のデスクに座る女性社員の藤森絵梨が彼にそっとメモを差し出した。
そこには、今彼が受け取った書類がどういうもので、そして彼がこれからそれをどう処理したら良いのかが書き記されている。
「あ、藤森君! ちょっとお客さんにお茶出してあげて」
不意に飛んできた課長の言葉。絵梨は完全に虚を突かれた様子で、自分が呼ばれたのだと気付いていなかった。
ワンテンポ遅れてから、指示を受けたのが自分だと認識したようで、あたふたとしながら給湯室へと走って行く。
「えっと、お茶……、お茶ってどれだ」
給湯室に入ってからも、彼女は狼狽えていた。ここまで来たは良いものの、コップはどれを使うのか、茶葉は何処にあるのか。そういう基本的なことがわからず、立ち尽くしてしまっていた。
「お客さん用のお茶はね、これとこれ」
後ろから付いてきていた太郎が助言してくれる。彼は慣れた様子でさっさと準備をすると、これを持って行ってと絵梨にお茶と茶菓子の乗ったお盆を差し出した。それは彼女にとって、地獄に仏と言えた。
助かると、短くお礼を言って絵梨はお茶出しのミッションへと望む。緊張した面持ちで、しかし真摯に自らの仕事を完遂しようという真面目な気概が見て取れる。
しばらくして応接室から帰って来るが、しかしまったくもって彼女は疲れ果てたような表情をしていた。うんざりしたと顔に書いてある。給湯室に迎え入れて、お疲れと労う太郎に大きなため息をついた。
「どっと疲れた。冷静になると、ただのお茶出しで気を張り過ぎたな」
「普段やってないことやるとね。そうもなるよ」
「ていうかあのジジイ気持ち悪かったぁ。ずっと露骨にこっちをガン見して来るんだもん。いくら美人でプロポーション最高だからって、せめてこっちに気付かれない位には遠慮しろよ」
そう言って絵梨は、OL然とした制服を纏う自分の身体を誇るかのようにすっと撫でて見せる。挑発的な笑み。背筋を伸ばし、胸を張って見せつける。
実際タイトスカートとタイツを纏う脚は細く、すらりとして長い。胸の膨らみもブラウスとベストを押し上げてその豊満さを主張する。肌も白く張りがあるし、肩まであるロングヘアも艶があって綺麗。ドヤ顔する資格があると誰もが認めざるを得ない位には美人だ。
24歳の完成した女体の魅力。それを惜しげもなく振りまくかのように、煽情的なポーズを色々取って見せる。両脇を上げたり、二の腕で胸を挟み込んでみたり、振り向きざまに指を咥えてみたり。
そんな彼女を、太郎はじっと見つめていた。やがてバツが悪そうに目を逸らすと、少しもじもじとしながら嗜めるように言う。
「やめなよ」
「どうしたの? もしかして勃っちゃった? まあ、その気持ちはよく分かる」
ケラケラと楽しげに笑いながら絵梨が茶化すと?太郎は赤面しながらムッとした。ただそれ以上何も言わないことが、言外に彼女の言葉が事実だと肯定していた。
「コピー用紙、コピー用紙っと」
その時、そんな呟きが聞こえて来た。別の男性社員が給湯室にいそいそと入って来る。太郎と絵梨は反射的にお互い視線を逸らして、さもそれぞれ別々の用事でたまたまここにいるだけですよとばかりに素知らぬ顔をし始める。
その社員は2人に特段何の興味も示すことはなかった。ただ、戸棚の奥にあった新品のコピー用紙の束を抱えると、さっさとオフィスの方へと戻って行く。それを見送って、2人はふっと息をつく。
太郎と絵梨は付き合っていて、現在同棲もしている。だがそれはまだ職場では明らかにしていない。ただの上司部下の関係を装っている。だから社内で2人が仕事の話以外の会話をすることは稀ではある。
「しかしまあ、こっちのチームには関係ないお客さんなのにお茶出しやらされるのもどうかと思うな。女だと思いやがって。それにそれ以外にも雑用ばっかり押し付けられ過ぎだよ」
鼻を鳴らして絵梨は言う。呆れたと言わんばかりに腕を組んでいる。普段は社内で雑談はしないことにしているが、これは半分仕事の話という感覚で言っていた。
「でも性別以前にこのオフィスでは1番年下だし、雑用やらされるのも仕方ないよ」
「雑用なんかいくらやってもキャリアにならない」
「責任が伴わない仕事だから、気楽で良いじゃない」
そんな消極的な発想をする太郎を、絵梨は一笑に付した。
「時代錯誤的だ。この会社結構古臭い体質なとこあるよな。何故か女子だけ制服着用だし」
「デザイン可愛いから嫌いじゃないけど」
「係長はセクハラ発言するし」
「あら、これは失礼」
「そもそも役員に女性がいないのがおかしいよ。それ以前に管理職にも女性はほぼいない。今は令和だぞ。良いのかそんなことでと思うけど」
そこまで高説を述べて、はたと絵梨は何かに気付いたような表情をした。まじまじと、自分の手や身体を見下ろしている。そして、良いことを思いついたばかりに二ッと口角を上げた。
「そうだ、自分で出世すれば解決じゃん。まず管理職。ゆくゆくは役員まで。時代遅れな企業風土を女性の立場で改革してやるぜ」
絵梨のそんな突然の思い付きに、太郎は面食らう。思わずぇ゙なんてカエルが潰れたみたいな声が出てしまう。
「いや、むしろ専業主婦希望なんだけど。出世なんか要らないよ」
「え、そうだったの? まあそれでも良いけど。いや、良くない。やっぱ今の時代女性もバリバリキャリア積んでいかないと。燃えてきたな。ガンガン仕事こなしていくぞ」
決意に燃える絵梨。太郎は彼女の瞳に、圧倒的な熱量とワーカーホリック的な淀みを見て辟易とした。
「えい」
その掛け声と共に、太郎は絵梨にキスをした。カップルであれば日常的なスキンシップかもしれないが、この2人にとってはただの愛情表現ではない。
彼らにはキスをするとお互いの精神と身体が入れ替わるという不思議な特殊能力がある。36時間に1回しか使えず、再度能力を使わないない限り元に戻れないという制約があるものの、それ以外のデメリットは特にないので、2人はよく入れ替わって遊んでいる。
実際、唇が離れた後の2人の表情は、ほんの一瞬前とは全く違っていた。げんなりとしていた太郎はきょとんとした顔をしているし、やる気に満ち溢れていた絵梨は澄ました顔をしている。
まさか職場で入れ替わりを仕掛けられるとは思っていなかった太郎は、急にどうしたのと狼狽えていた。対する絵梨は、そんな彼を尻目に給湯室を後にしようとする。
「出世したくないんで、これからミス出しまくって課長からの評価を下げるから。尻ぬぐいよろしくね。係長様」
「え!? いや、ちょっとちょっと」
去り際の絵梨の宣言に、ただ太郎は狼狽しながらついていくことしか出来ない。
これはそんな何気ない、でもとっても変な、二人の日常の一幕。
柊太郎(ひいらぎ たろう)のデスクへ、彼の部下である若い男性社員が書類を置いて去っていく。
太郎はその書類をじっと見つめた後、更に手に取ってしげしげと眺める。ふんふんなるほどなるほどと訳知り顔で頷いたりしているが、何処か上っ面で真剣味の感じられない所作だ。
そうしていると、同じく彼の部下で隣のデスクに座る女性社員の藤森絵梨が彼にそっとメモを差し出した。
そこには、今彼が受け取った書類がどういうもので、そして彼がこれからそれをどう処理したら良いのかが書き記されている。
「あ、藤森君! ちょっとお客さんにお茶出してあげて」
不意に飛んできた課長の言葉。絵梨は完全に虚を突かれた様子で、自分が呼ばれたのだと気付いていなかった。
ワンテンポ遅れてから、指示を受けたのが自分だと認識したようで、あたふたとしながら給湯室へと走って行く。
「えっと、お茶……、お茶ってどれだ」
給湯室に入ってからも、彼女は狼狽えていた。ここまで来たは良いものの、コップはどれを使うのか、茶葉は何処にあるのか。そういう基本的なことがわからず、立ち尽くしてしまっていた。
「お客さん用のお茶はね、これとこれ」
後ろから付いてきていた太郎が助言してくれる。彼は慣れた様子でさっさと準備をすると、これを持って行ってと絵梨にお茶と茶菓子の乗ったお盆を差し出した。それは彼女にとって、地獄に仏と言えた。
助かると、短くお礼を言って絵梨はお茶出しのミッションへと望む。緊張した面持ちで、しかし真摯に自らの仕事を完遂しようという真面目な気概が見て取れる。
しばらくして応接室から帰って来るが、しかしまったくもって彼女は疲れ果てたような表情をしていた。うんざりしたと顔に書いてある。給湯室に迎え入れて、お疲れと労う太郎に大きなため息をついた。
「どっと疲れた。冷静になると、ただのお茶出しで気を張り過ぎたな」
「普段やってないことやるとね。そうもなるよ」
「ていうかあのジジイ気持ち悪かったぁ。ずっと露骨にこっちをガン見して来るんだもん。いくら美人でプロポーション最高だからって、せめてこっちに気付かれない位には遠慮しろよ」
そう言って絵梨は、OL然とした制服を纏う自分の身体を誇るかのようにすっと撫でて見せる。挑発的な笑み。背筋を伸ばし、胸を張って見せつける。
実際タイトスカートとタイツを纏う脚は細く、すらりとして長い。胸の膨らみもブラウスとベストを押し上げてその豊満さを主張する。肌も白く張りがあるし、肩まであるロングヘアも艶があって綺麗。ドヤ顔する資格があると誰もが認めざるを得ない位には美人だ。
24歳の完成した女体の魅力。それを惜しげもなく振りまくかのように、煽情的なポーズを色々取って見せる。両脇を上げたり、二の腕で胸を挟み込んでみたり、振り向きざまに指を咥えてみたり。
そんな彼女を、太郎はじっと見つめていた。やがてバツが悪そうに目を逸らすと、少しもじもじとしながら嗜めるように言う。
「やめなよ」
「どうしたの? もしかして勃っちゃった? まあ、その気持ちはよく分かる」
ケラケラと楽しげに笑いながら絵梨が茶化すと?太郎は赤面しながらムッとした。ただそれ以上何も言わないことが、言外に彼女の言葉が事実だと肯定していた。
「コピー用紙、コピー用紙っと」
その時、そんな呟きが聞こえて来た。別の男性社員が給湯室にいそいそと入って来る。太郎と絵梨は反射的にお互い視線を逸らして、さもそれぞれ別々の用事でたまたまここにいるだけですよとばかりに素知らぬ顔をし始める。
その社員は2人に特段何の興味も示すことはなかった。ただ、戸棚の奥にあった新品のコピー用紙の束を抱えると、さっさとオフィスの方へと戻って行く。それを見送って、2人はふっと息をつく。
太郎と絵梨は付き合っていて、現在同棲もしている。だがそれはまだ職場では明らかにしていない。ただの上司部下の関係を装っている。だから社内で2人が仕事の話以外の会話をすることは稀ではある。
「しかしまあ、こっちのチームには関係ないお客さんなのにお茶出しやらされるのもどうかと思うな。女だと思いやがって。それにそれ以外にも雑用ばっかり押し付けられ過ぎだよ」
鼻を鳴らして絵梨は言う。呆れたと言わんばかりに腕を組んでいる。普段は社内で雑談はしないことにしているが、これは半分仕事の話という感覚で言っていた。
「でも性別以前にこのオフィスでは1番年下だし、雑用やらされるのも仕方ないよ」
「雑用なんかいくらやってもキャリアにならない」
「責任が伴わない仕事だから、気楽で良いじゃない」
そんな消極的な発想をする太郎を、絵梨は一笑に付した。
「時代錯誤的だ。この会社結構古臭い体質なとこあるよな。何故か女子だけ制服着用だし」
「デザイン可愛いから嫌いじゃないけど」
「係長はセクハラ発言するし」
「あら、これは失礼」
「そもそも役員に女性がいないのがおかしいよ。それ以前に管理職にも女性はほぼいない。今は令和だぞ。良いのかそんなことでと思うけど」
そこまで高説を述べて、はたと絵梨は何かに気付いたような表情をした。まじまじと、自分の手や身体を見下ろしている。そして、良いことを思いついたばかりに二ッと口角を上げた。
「そうだ、自分で出世すれば解決じゃん。まず管理職。ゆくゆくは役員まで。時代遅れな企業風土を女性の立場で改革してやるぜ」
絵梨のそんな突然の思い付きに、太郎は面食らう。思わずぇ゙なんてカエルが潰れたみたいな声が出てしまう。
「いや、むしろ専業主婦希望なんだけど。出世なんか要らないよ」
「え、そうだったの? まあそれでも良いけど。いや、良くない。やっぱ今の時代女性もバリバリキャリア積んでいかないと。燃えてきたな。ガンガン仕事こなしていくぞ」
決意に燃える絵梨。太郎は彼女の瞳に、圧倒的な熱量とワーカーホリック的な淀みを見て辟易とした。
「えい」
その掛け声と共に、太郎は絵梨にキスをした。カップルであれば日常的なスキンシップかもしれないが、この2人にとってはただの愛情表現ではない。
彼らにはキスをするとお互いの精神と身体が入れ替わるという不思議な特殊能力がある。36時間に1回しか使えず、再度能力を使わないない限り元に戻れないという制約があるものの、それ以外のデメリットは特にないので、2人はよく入れ替わって遊んでいる。
実際、唇が離れた後の2人の表情は、ほんの一瞬前とは全く違っていた。げんなりとしていた太郎はきょとんとした顔をしているし、やる気に満ち溢れていた絵梨は澄ました顔をしている。
まさか職場で入れ替わりを仕掛けられるとは思っていなかった太郎は、急にどうしたのと狼狽えていた。対する絵梨は、そんな彼を尻目に給湯室を後にしようとする。
「出世したくないんで、これからミス出しまくって課長からの評価を下げるから。尻ぬぐいよろしくね。係長様」
「え!? いや、ちょっとちょっと」
去り際の絵梨の宣言に、ただ太郎は狼狽しながらついていくことしか出来ない。
これはそんな何気ない、でもとっても変な、二人の日常の一幕。