痛いほどの直射日光の下、市民球場の観客席。鍋の中で煮詰められるたまねぎにでもなった気分だ。
彼女のが通う高校の野球部が、夏の大会で地区予選の決勝に進出したということで全校応援に駆り出された。
これに勝ったら甲子園に行けると言われても、そもそも野球のルールすらよくわかっていない芽衣にとっては知ったことではない。
そもそも芽衣は、特に屋外スポーツの運動部男子が嫌いだ。臭くて汚いジャガイモにしか見えない。生理的に無理で、すれ違うだけで嘔吐きそうになる。
あまつさえこれだけの陽光に晒されるのに、日傘の使用は禁止ときた。ただひたすらに灼熱地獄の責苦を黙って耐えろということらしい。私何か悪いことでもしたのかしらと嘆かないではいられない。
ちょっとトイレに行こうと、芽衣は席を立つ。
暑いからと言って、ちょっと水を飲みすぎた。立ちくらみのようにめまいがして、まったくもって最悪の気分だった。
一番端の席で階段の隣だから、こういう時他人に気兼ねする必要がないのは幸運だったが、そんなものでは到底釣り合わない。
そんなことを考えていたせいか、歩き出した瞬間に足が絡まって、バランスを崩した。そしてそのまま、階段から転げ落ちてしまう。
更に悪いことに、階段の下にいた男子生徒を巻き込んでしまう。芽衣と同じ1年生で野球部の吉村翔平だ。
激しくぶつかり、強く頭をぶつけた2人は、その場に倒れ伏した。
そんな大事故に周囲は騒然となる。ただ、すぐに芽衣が起き上がったことで、それほどの重大性はないと受け止められた。心配げな視線を送る者もいるが、半数ほどはなんだびっくりしたで済ませて彼女らへの関心をなくす。
芽衣は強打した頭をさすった。しかしすぐに違和感を覚える。何故自分はアームカバーなんかをつけているのか。こんな女子みたいなもの、持ってもいないし着けたこともない。
更に愕然としたのは、自分がスカートを履いているという事実だった。咄嗟に手を伸ばして掴んでめくりあげてみると、たしかにそれは自分が身につけているものだという感触があった。
おそるおそる、芽衣は自分の胸に手をあてがってみた。そこには確かに脂肪による膨らみがある。男の身体ならば存在しないものだ。
そして股間に手をやれば、男の身体ならばあるはずのものがなかった。
「ウソだろ……」
口を突いて芽衣の口からそんな言葉が出る。
先ほど衝突したことで、2人の人間の精神が入れ替わってしまった。マンガじゃあるまいし、そんな馬鹿なことが現実に起こるはずがないとは思っても、直面している現実はそういうことであるという以外に彼女には解釈のしようがなかった。
(……女の身体だ)
どうしようという困惑はある。しかしこれからのことにはまるで見当もつかないからこそ、唐突に自らの手元に転がり込んで来た女体に芽衣の意識は釘付けになった。
16年間男として生きてきて、彼女もなければ女子との交際経験もない彼女にとって、自分の意思に基づいて自由に動かせる女体は刺激が強すぎる。
今は心の中にしかない彼女のチンコが、ムクムクといきり立っていくような感覚を覚える。
ほとんど本能的に、芽衣は自分のおっぱいを掴んでいた。その感触を確かめるように、丹念にもみもみと弄る。
(思った以上に、ブラジャーってがっしりしてるんだな。でもその下のおっぱいはものすごい柔らかいぞ。え? 人間のパーツで、こんなに柔らかい部位なんてありえるのかよ!?)
自らの身体を探索することに芽衣は夢中になる。なんとかこの邪魔なブラジャーを外せないものだろうかと、ゴソゴソとあちこちに手を回す。
結局は普通に服を脱ぐしかないと結論づけて、制服のブラウスのボタンをを外そうとする。
「ちょっとちょっと、芽衣! どうしたの!? なにやってんの!」
その言葉とともに、芽衣は女子生徒に手を掴まれた。彼女は芽衣の友人の井崎、だったというところまでは芽衣も認識していただが、その下の名前までは出てこなかった。
「どうしたの? 大丈夫だった?」
顔を寄せて、井崎某が心配そうに尋ねる。芽衣にとっては、そんな至近距離に女子が接近してくるという経験もなかったので、ついついドギマギしてしまう。
それで少し我に返ったお陰で、いまだ自分が衆人環視の中にいたことも思い出した。
「は!? なんで!?」
その時になってようやく翔平も頭を上げた。芽衣の顔を見て、ひどく戸惑っている様子だ。
それから翔平の方も、先ほど芽衣がしたのと同じように自らの身体を弄ると、彼女と同様に2人の中身が入れ替わっているという結論に達したような顔をした。
「え、ヤダ! ありえないんだけど。ねえ、戻して。戻してよ!」
取り乱しながら、翔平が芽衣に詰め寄る。腕を掴まれた芽衣は、その力の強さに痛みと恐怖を覚えた。
この相手に筋力で抵抗するということはできないだろうという原始的な恐れだ。
「そ、そんなこと言われたって、俺にも何が何やら……」
「イヤだ!! いやァ、戻して……」
駄々っ子のようにむずがる翔平に対して、芽衣はただ狼狽えることしかできない。もっとも、振り払いたいと思っても翔平の力が強くてそれも叶わない。
「ちょっとなにアンタ! やめてよ!」
井崎が翔平を引き剥がそうとする。芽衣にとっては心強く感じるものの、自分の身体が完全に変質者扱いされていることに複雑な念を抱く気持ちもある。
しかし、芽衣に差し伸べられた手はそれだけだった。周りの人間は、このよくわからないトラブルをただ傍観しているだけだ。
それだけならまだ良かったかもしれないが、「あいつらさっきぶつかって入れ替わったんじゃね」「アニメとかでありがちなやつー」「本当にそんなことになったら、ウケるだろ」なんて2人を茶化すような声も聞こえてくる。
それがますます、芽衣に絶望感をもたらした。ひょっとして誰にも信じてもらえず、助けてもらえないパターンなんじゃなかろうか?
確かに中身が入れ替わりましたなんて非現実的ななこと、自分事じゃなかった絶対信じなかったと思う。
もしかしてこれからずっと女として生きていかなきゃいけないのか。女ってどうやってやるんだ。知らないぞ俺。そんな焦燥が、芽衣の中で膨らんでいく。
だがそれは翔平の方も同じだ。井崎に突き飛ばされた翔平は、その場でうずくまってメソメソと泣き始めてしまった。
「何こいつ、キモっ」
ダメ押しのように井崎が吐き捨てる。自分の身体がそんなふうに言われるのは、芽衣としても良い気分ではないが、翔平の方は一層大きなショックを受けたようだ。
何が起きたのか理解が追い付かないと言った様子で一瞬きょとんと制止した後、嗚咽を漏らすほど激しく泣き出した。
芽衣は困り果てていた。元来、目の前で悲しんでいる人間を放っておけるような性格ではない。
なんとかしてやりたいという人並みの情や善性を持っている。しかし打てる手はどこにもない。ましてや不安でいっぱいなのは芽衣自身も同じだ。
結果として、彼女はただ彼に寄り添うことしかできなかった。
それなりに差し迫った尿意を感じてはいたものの、泣きじゃくる翔平を放置してどこかへ行こうという気にはならなかった。
それに女のトイレのやり方なんてわからない。女子トイレの中なんて芽衣には想像もつかない。
ある意味、わからないこと考えたくないことを先送りにしようとする精神のほうがウエイトは大きかったかもしれない。
ただそれから5分10分と経っても状況の変化はなかった。周囲はずっとざわついているし、引率の教員が様子を見にも来たが、2人の助けになるようなものは何ももたらされなかった。
流石に芽衣も自身の尿意が危険な水準に入ってきたことを感じ始めた。いい加減トイレに行かないと真面目にマズい。
「ちょっと、トイレに行ってくる」
芽衣は翔平に耳打ちして、そう断った。すると翔平は血相を変えて彼女の腕を再び捕えた。
「いや、無理。他人の身体で勝手にトイレに行くとか、あり得ないでしょ。信じられない」
「いや、そんなこと言われたってどうしょうもないじゃないか。じゃあ目隠しでもしててやるから、お前が手伝ってくれよ」
「あんたの手が私に触れるのがもう嫌なんだけど」
そんな理不尽で聞き分けのないことを宣う翔平に、つい芽衣もカッとなってしまう。
自分だって戸惑いながらも、何もできないなりにも翔平の気持ちに寄り添ってやっていたのに。それを慮ることもないこの無神経な物言い。流石に、もう知ったことかという気持ちになる。
芽衣は翔平の手を強引に振り払った。そして当てつけるかの如く、お前と話すことはもうないとばかりに、バッとその場から勢いよく立ち上がった。
その瞬間、お腹が破れて中身が溢れだすような感覚があった。芽衣にとっては体験したことのない種類のものだ。更に足を伝い落ちる液体の感触。
(え!? まさか、おしっこ漏れた? 嘘だろ、まだもつと思ったのに)
今までの経験と異なる事態に、なお芽衣は自分が漏らしたという事実を確信できないでいた。
お漏らしだなんて情けないことではなく、何かもっと別の大変な異常が生じたのではないかという懸念を拭いきれない。
その疑念に突き動かされ、芽衣はスカートを捲り上げて状況を直接自分の眼で見て確認しようとした。
そうやって彼女の視界に飛び込んできたのは、濡れて色合いを濃くする縞のパンツと、脚を伝う黄色がかった汁だった。
明らかに、完全にして普通におしっこが漏れている。その事実を納得せざるを得なかった。
彼女が自分の身に起きたことを理解できたこと自体は良かった。
だがその結果として、球場の観客席で自らスカートをまくりあげてパンツを丸出しにしながら失禁する女子高生というとんでもない状況を生み出してしまった。
周囲の視線を一身に集めている。悪いことにちょうど攻守交替のタイミングだったせいで、プレイ中の両校選手や審判すらも含めた球場のほぼ全員の視線が、全方位から彼女へ注がれていた。挙句の果てには試合を撮影するローカルテレビのカメラすらも彼女を向いている。
「イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
ありえない情景に誰もが言葉を失う中、幼児退行してしまったかのような翔平の絶叫だけがこだました。
それから1年が経った。再び今日は夏の高校野球地区予選大会の決勝戦。
中原芽衣は野球部のマネージャーとしてスタンドにいた。試合の行方を固唾を呑んで見守っている。
打席に入っているのは2年生の柿本だ。彼が振り抜いたバットは、打球を完全に捉えフェンスまで弾き返した。
「いけーっ!! いけーっ!! いけーっ!!」
芽衣も含めた部員全員の歓声を受けて、サヨナラのランナーがホームへと帰って来る。
彼女の高校の勝利だ。結局昨年は決勝で敗退してしまったから、1年越しに甲子園への切符を掴んだことになる。
「よっしゃあああああああああ!!」
感極まって、芽衣は隣にいた野球部男子と抱き合って喜びを分かち合った。
結局あの日から、2人は入れ替わったまま元には戻れていない。
選手としてプレーすることはできなくなったが、どうしても野球への情熱を捨てられなかった芽衣はマネージャーとしてチームを支えている。
やるせなさは彼女の心の中にずっとある。今しがたヒットを打った柿本は彼女の同級生で、ポジションを争っていた相手だ。
こんな入れ替わりなんてものがなければ、今あそこに立っていたのは自分だったかもしれないという心残りはある。
芽衣は自分が腕にはめているアームカバーを見て自嘲する。
以前は女子がこんなのつけているのを見ては、しゃらくさいし暑苦しいなんて思っていたのに、いつの間にか自分自身も自然と着けるようになっている。
それ以外のスキンケアだってきちんとやっている。せっかく綺麗な顔しているのに荒れさせるのはもったいないという気持ちもあるし、みすぼらしい肌で外を歩きたくないという思いも芽生えてきた。
1年前はそんなこと思ったこともなかったのに。随分と女をやるのが板についてきたものだと思わないではいられない。
翔平の方は、あれから野球部は辞めてしまった。
むしろ学校すらもかろうじて籍だけは残っているような状態で、フラフラと遊び歩いている。突然自暴自棄になって非行に走ってしまった彼に、周囲は困惑している。
ふと芽衣はグラウンドの柿本と目が合った。彼が芽衣に対してガッツポーズをしたのを見て、彼女は曖昧な表情で手を振り返した。そして嘆息する。
(完全に期待してやがる。まあ、今日のヒーローはあいつだし、多めにサービスしてやるか。でもあいつ乱暴だから、好きじゃないんだよな)
そんなことを思いつつも、芽衣は下腹部に熱い疼きを感じていた。
そして思い立ったように足元の鞄を開いて、持ち物を確認する。
(確かあいつはバニーが趣味だったはず。良かった、ちゃんと用意してある)
芽衣は鞄の中のバニースーツに手を触れる。しっとりとした手触り。
このぴっちりとして煽情的なコスチュームを、また自らの身に纏うことを想像するとむず痒いような気持になる。思わずスカートの中で腿をさすさすと擦り合わせてしまう。
端的に言ってしまえば、楽しみだった。彼女は自分がエロい女の格好をして、男子部員たちの性欲に塗れた視線を浴びることに快感を覚えていた。
ああ、早く脱いであいつらにまたこの身体を隅々まで見せてやりたいし、欲情をこれでもかというほど煽ってやりたい。
元男子としての経験を活かしてというと変な話であはあるが、彼女は記録や掃除なんかの通常のマネージャー業務以外にも、そんなふうに自らの身体を使って部員達を労うモチベーションアップに貢献していた。
(いや、でも初優勝なんて偉業だもんな。柿本だけってわけにも、いかないか)
芽衣は思わず笑みを零した。自らの柔肌をさすりながら、これが硬く鍛え上げられた彼らの肉体に挟み回されて揉みくちゃにされる様をひそかに夢想するのだった。
------------------(以下あとがき)------------------
他者系TSFにおいて用いられる技法に、三人称において地の文を含め常に身体の名前で呼ばれるというスタイルがあると思います。(ここでは「無理解な世界」とでも呼ばせていただきましょうか)
私の流派においては、小説という媒体は心情描写に強みを持つものであるから、心情描写を最も重視しなければならないと考えます。
心情は精神に準拠するものですから、必然的に他人の身体に変わろうとも心情に触れる場合は精神の名前で呼ぶ事が原則となるわけです。
従って、無理解な世界では心情描写からは離れざるを得ません。
しかしながらそうなると、小説であることの強みを失ってしまうということであり、小説でやる意味がなくなります
他の媒体なら強みが出るのであれば、他の媒体を用いて表現すべきであるということが結論となります。
私は元来、秀作とか実験という概念をあまり好まない性格ですが、しかし今回に関しては前提を疑い、前述の常識を乗り越える挑戦に挑みました。
それは視点として精神の異動に無頓着化するという試みとして出力されました。
これは事実上の視点者の変更であり、小説においてはタブー視されるものに値します。
しかし、何故視点者を変更してはいけないのかといえば、単純にわかりにくくなるからに他なりません。
つまり、逆に言えば読者が理解できるなら問題はないということです。
すなわち、此度の企みは読者を信頼するという挑戦でもあるわけです。
もちろん、単に読者に期待しているだけでは許されません。読者がついてこれるよう適切に道筋をつけるかという作者の力量を問う課題であるという意味です。
さて、いかがだったでしょうかね。
作者としては、まだこの検証には先があるなと感じているところですが、その輪郭は朧気です。いずれ辿り着くことを祈念しつつ、御挨拶とさせていただきましょうか。
